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今年の彼岸花は、白色が優勢。まるで鳳凰が天空から舞い降りてきているかのような勢いで咲き誇っていました。
今年は見逃した〜と思った赤の紅葉でしたが、意外に身近にありました。
だから、よけいに嬉しかったです。出合えてよかった。
「荷香十里」という言葉を、友人から教わりました。十里という遥かまで香りが運ばれてくる、また、そのように芯をもっている、というような意味だと思います。美しい情景がたちのぼる素敵な言葉で、とても好きです。
「荷香無限」は、これまた友人の造語です。微細に、かすかに、やわらかに、わたしたちの心をふるわせながら無限にひろがっていく。それは香りなのか、愛なのか、輝きなのか。
コスモスに香りはないけれど。天上の蓮華のようなすがたに、この言葉を思いだしました。
燃えるような朱赤の静謐な世界。刻が止まったような中に、ひらひらと蝶が舞っていく。
お彼岸のこの季節、彼岸花には様々なイメージがつきまといます。死、不吉、お墓、あの世、妖しさ。
けれども、そのイメージによって、この花(美、生命)の価値を決めることができないように、
「人」も、他人や自分から着せられたイメージでは、その価値は決められないのです。
いったい、これは「花」なんだろうか? 光? 魔法?
目に見える世界は、私たちが勝手に意味付けをして、それをいつも自動的に機械的に読んでいるだけなんだと気づかされます。
この光が「生命」というものならば、花たちだけでなく私たち「人間」も、目に見えているもの(認識しているもの)とは、ほんとうは全く違うものなのだと思います。